2015/12/04

【2-2】河骨川(1)上流部の暗渠

(写真は特記がない限り2005年撮影です。)

※宇田川水系全体の概要はこちらを→【2-1】宇田川水系(0)宇田川水系概要

 渋谷川最大の支流宇田川の更なる支流、「河骨川(こうほねがわ)」は、童謡「春の小川」のモデルになったとされる川です。川の名前は「こうほね」に由来するといいます。「こうほね」は睡蓮科の水草の一種で、清流に生息し、黄色い可憐な花を咲かせます。河骨川がそれだけ清冽な川だったことを示しているといえます。
一方で地元ではあまり河骨川とは呼ばれずに、地名をとって山谷川(さんやがわ)と呼ばれていたとも言います。


水源の溝

 川の源流は2箇所あり、ひとつは京王新線初台駅の南方、初台1丁目40番地と推定できます。この一角は三方を囲まれ東側が開けた窪地=谷頭の地形となっており、谷頭から東に向かって谷底の一番低い場所に幅30cm~50cm程の蓋掛け水路があります。ただの排水溝だといってしまえばそれまでですが、まぎれもなく、都市化に伴い姿を変えていった、かつてのせせらぎの成れの果てです。


続く水路

 水は流れていませんが、かつては湧水や雨水をあつめていたのではないでしょうか。そばには朽ち果てたポンプ式井戸もありました。溝は家々の間を縫い東に100mほど続いて、山手通りの西側で下水に落ちるかたちになっています。この場所はV字の谷を山手通りの盛り土が遮っています。
※ポンプ井戸は2010年頃には消滅しました。


深い谷

 山手通りを越えると急に深い谷が現れます。写真は川筋からは一本北側の、谷の北縁に沿った道です。


谷底

 谷底の流路は薄暗く、湿度が高そうな雰囲気です。代々木4丁目41まですすんだのち川跡は南東方向に変わります。この地点で、もう一つの源流からの流れが東から合流します。


もうひとつの水源

 もうひとつの源流は代々木4丁目26番にあった山之内侯爵邸の湧水池を水源とする流れです。こちらが主な水源だったようです。戦前まで、水源の谷頭には水田が残っており、渋谷区内では最後まで存在した水田だったといいます。
 現在該当の場所にはマンションが建っており(写真道路の左側)、前の道路がいちばん低くなっている辺りから川が流れ出していました。川の痕跡はまったくありませんが、一帯は窪地になっています。1995年頃までは、この場所は個人宅となっていて敷地の一角に湧水が残っており、住んでいた方が「河骨」を育てていたといいます。また近くの民家の石垣からはわずかですが水がしみ出していて、道路の側溝に流れ込んでいました。



道が一番低くなっているところを右から左に河骨川の暗渠が横切っています。



銭湯

川跡につきものの銭湯が河骨川暗渠沿いにもありました。右岸の材木が積んであるところが銭湯の裏手にあたります。材木はボイラーの薪でしょうか。道沿いのコンクリートが川の護岸を彷彿させます。
※現在この銭湯は廃業してしまいました。



平行する水路の名残

 かつて河骨川は谷戸の中を何本かに分かれて流れ、流域の水田を潤していました。それらは宅地化の進む中で徐々に整理され、最終的には1本の流れにまとめられていきます。暗渠の東側に並行した未舗装の路地には道のまんなかに水路らしきU字溝がありました。おそらくかつての分流のひとつだったのでしょう。



※2015年追記:地籍図などを調べることで当時の分流の様子を窺い知ることができます。下の地図は、1935年刊行の地籍図に記されている「水路敷」をプロットしたものです。図面の作成時にすでになくなっていた水路も含まれると思われますが、水田があったころの谷戸の様子がわかるかと思います。南東に流れる水路のうち真ん中のものが最後まで残り暗渠化された「本流」です。



いくつかの分流の痕跡については2010年に記事にしていますので、ご参照下さい。
→「河骨川の傍流と、かつての宇田川の流れたち」(2010/05/26公開)

行き止まり

 流路を辿って下っていくと、小田急線参宮橋駅近くで、線路につきあたり行き止まりとなります。この撮影地点の交差点にはかつて「いなり橋」という橋が架かっていたそうです





 小田急線の線路の向こう側には、簡単な欄干のようなものが見えますが、建物の裏側となっていてよくわかりません。

※この橋については2010年に記事にしました。こちらをご参照ください。
→「河骨川・姿を現した参宮橋の遺構」(2010/01/03公開)



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